彼女と初めて迎えた朝食の時間…献立は目玉焼き。
だが二郎はそこで愕然とする!
なんだ!その目玉焼きの食べ方は!!
食べることを通じて生き方を見つめなおす、衝撃のフード・ソウル・ロマン。
いやほんと、食べ方は生き方です。
誰しもが必ず「ちょっと待て、それは…」と口を挿みたくなるテーマが満載です。
そして、自分とは違う生き物である「他人」を理解したいと思わせてくれる作品です。
泣くところはないです。
まず宣言しておきたいのは、私は宮さんのように食に興味がないタイプだということです。
「なに食うてもうまいねん」
激しく賛同します。
そして私も食べるのが遅い。
だから食べるのって時間取られるし面倒臭い。
食べにくいものは食べたくない。
エビとかカニとか果物とか、そこまでして…と思ってしまいます。
宮さんと結婚したら食生活がズタボロになりそうです。
だがしかし、「食べる段取り」については自分の中に不動の司令塔がいます。
ちゃんと全てそれに裏付けされた行動なのです。
これに対し私の母は感性で食べる人なので、秩序というものがありません。
献立や配膳の根拠を尋ねても、そんなものはない、その質問の意味もわからないと突き返されます。
実家での食事は大変な心の修行になります。
唐突に自分の食主張から始めてしまいましたが、そうせずにはいられない気持ちにさせる作品なのです。
トンカツのキャベツは最初にドレッシングで食べて、できれば最後にまたおかわりしたいのです。
あぁ…伝わるでしょうか…
食に興味がない私ですら、様々な主張が溢れ出てくるのです。
実を言えば、二郎の思慮の浅さを見下してすらいます。
みふゆと服部は結構共感するところもあります。
お皿汚したくないよね、洗い物増やしたくないよね。
卵かけご飯はもちろんご飯かけ卵派です。
よしのりさんの「シーソー食い」もかなりビンビン共感しました。
近藤さんは食べることを通じてそれとなく大切なことを伝えてくれる偉大な人です。
このように、とても深いテーマをはらんだ明るい哲学書的な作品なのであります。
読んでいたら無性に焼き鳥が食べたくなったので、今から食べに行ってきます。
串は抜きません。