『&』 おかざき真里

一念発起してダブルワークを始めることにした薫(26歳)。
大学の後輩・シロちゃんとの再会、昼間の職場でちょっかいをかけてくる年上の医師・矢飼。
仕事と仕事、仕事と恋愛、恋人と好きな人…色んな「&」。
様々な言葉や価値観に小さく大きく揺れながら、自分の道を自分で進んでゆく。

   どこか

どこかで私は『恋愛』ができれば そしてどんな形でも受け入れられれば それが『あがり』なんだと思ってた

それが一人前になるということで それで自分は変われるのだと 思ってた

確かに変わった

でもその道が美しいわけではないのだ」

人生で、例えば恋愛で、誰を選ぶかというということに対して正解はない。
何不自由なく望み通りの人生を送るということを正解だとするなら、それをジャッジできるのは人生が終わるときだ。
「これで正解だった」と過去形で振り返るしかない。
「正解」に向かう道のりで嬉しいことや悲しいことが無数にあっても、それらが良いことなのか悪いことなのかという振り分けも不可能だ。
あらゆることはそれだけで完結しない。
「その後」という続きがある。
通り過ぎて、また続いて、リンクしてゆく。

おかざき先生の漫画に出てくる人たちは、みんな迷っている。
だれも「正解」なんかわかっていないし、そういう人たちが迷って悩んで選び、歩いていく物語が描かれている。
みんなが傷ついたり、悩んだりする感覚がリアルで、色んな感情を知っている人ほど胸がぎゅっとなると思う。
物語なので終わりがあるんだけど、「正解」に辿りついてこの先はもう迷いなんてないよ、何も考えなくていいんだよ安心して~っていうことではないのは、そこまでの登場人物たちの歩みを見てきたら、ちゃんと沁みこんでいる。
彼らもみんな私たちと同じ自分だけではない世界を生きている。

仕事も恋も家族のことも、自分が100%コントロールできることなんてない。
ほんと、恋ってなんなんだろうか…と思う。
ある日突然に心を攫われる。
自分の中の多様な価値観がせめぎ合って、ふりまわされて、その人にしか反応しない感情があったり。
「自分とはこういう人間だ」と思っていることが簡単にぶち壊されたりする。
自分の一番ダメなところとうんざりするほど向き合わされるのが恋愛だよな~と、特にシロちゃんや矢飼先生ら男性陣を遠くから眺めておりました。
女性の方が恋愛している自分を受容しやすいところがあるのかもしれない。
この苦しさも自分の一部だと、自然に受け止めているのかもしれない。
シロちゃんを見てたら「好きって苦しいのに投げ出せないとかなんなんだろうね」って肩ポンってしたい気持ちだった。
あんた、気高く立派な変態ワンコだよ。

薫ちゃんはすごい女だなと思った。
恋に振り回されても、支配はされない。
苦しんでも悩んでも、バクバク自分の糧にしていく逞しさが眩しい。
こういう逞しさって女のものだよなぁと思う。
いや、おかざき作品の女たちはみんな底力がすごいよね。
恋をしていても冷たい部分がちゃんとある。
察してもらおうとしないところもすごく好き。
『サプリ』もそうだったけど、『&』も作品通して女同士っていいもんだなってすごく思って、読んでたら女友達に会いたくなる。

薫ちゃんをすごいと思ったのは恋に関してだけではない。
私も矢飼先生の言葉の一つ一つに体が冷たくなっていくような感覚になって、自分を思い知らされるのがきつかった。
あなた以外の人はみんな当たり前にやってることだよ、そんなこともできていないなんて信じられないな。
そう聞こえた。
すっと仕事をして、お金を稼いで、自立して生きていくことに迷いがないように思える「大人の男の人」からのその言葉は、覆す余地がないようなツルッツルの重たい球が落ちてくる感覚だった。
知っている感情がたくさん出てくる。
それでも、傷ついても、おまけに恋までしてるのに、しっかり立っていようとする薫ちゃんがすごくて、泣けた。
こういう目をして生きていきたいって思うけど、それってだいぶすごいことだよなと思う。
薫ちゃんや美由起ちゃん、女の子たちがときどき見せる静かで強い眼差しに憧れる。

この女の人たちを前にした時の、男性陣の中学生っぷりが愛おしい。
その中で、赤坂先生の柔らかい男らしさはひときわ素敵だった…
自分を縛りうることを軽やかにいなす。
自分で間合いを取る。
赤坂先生が軽やかに思えたのは、彼の「ロマンス」と「リアル」の境界がすごく簡単に感じられたからかもしれない。
壁で隔てられているんじゃなくて、地面にサッと線が引かれているだけの境界を自由に行ったり来たりしている感じ。
彼なりの不自由さや矛盾も確かにある。
それを理解できる美由起ちゃんが彼のそばにいることがとても素敵だと思った。

どんなにかっこよく正しく素敵に見えても、「正解を知っている人はいない」ということだけが真実だ。
迷ったとき自分にできることは「どう選ぶか」に注力することなんだろうと思う。
「さて、迷ってるな、どう付き合っていこうかな」と一息ついて受け止められる気持ちになる。
そんな物語だった。