『繕い裁つ人』 池辺葵

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カタカタカタカタ…ミシンを踏む音が淡々と響く。
南洋裁店を2代目として切り盛りする市江。
着る人に寄り添って仕立てられる市江の服に惚れこんだ丸福百貨店の藤井は、彼女の服がある所ならどこへでも。
服を通して垣間見える温かい人間模様と、信念や情熱の物語。

静かな情熱に満ちた物語です。
自分が大事に思うことや信じるものを、ないがしろにせず、それが自分なんだとちゃんと認めて生きている市江や藤井がとても素敵でした。
絵は素朴なタッチで好みが分かれるのかもしれませんが、わたしはこの世界観を表現するのにぴったりだと思いました。
表情の変化ではなく、空気の変化を感じることができて、繊細な心の色や形が行間や間から豊かに伝わってきます。
表情の変化が小さいからこそ、心の揺らぎや、一言で表すことができない色んな思いが絡み合った感情を深く窺うことができました。
読みながら存分に自分の中で反芻する余地がちゃんと与えられていて、心に蓄えるものが多かったです。

市江も藤井も、自分に恥ずかしくないように、自分を懸けて、誇りをもって仕事に取り組む姿がとても美しいです。
藤井は市江の仕立てからたくさんのことを与えられ、また市江は藤井とのやり取りの中で視野を広げていく。
面と向かってではなく、仕事や行動でお互いに向ける尊敬が伝わるのが潔くてかっこよかったです。
お互いにとって、相手の存在が自分を前に進める大きな存在で、言葉は少なくても特別な絆が出来上がっていくのを眩しく感じたけれど、本当は自分の心のありようで、世界はそういう刺激にあふれているのかもしれないと、ふっと思いました。
本当に二人が素敵で、この画風だからこそ、市江の頑なな職人気質や繊細さ、藤井の真面目に自分を信じて仕事に取り組む情熱が、押しつけがましくなく表現されているんだと思います。
市江の仕立て以外何もできないという無頓着さも、市江の仕立てた服を眺めて頬を赤らめる藤井のマニアックさも、非常に好ましく感じられました。

脇で登場する人々からも学ぶことはたくさんあって、社会の荒波の中で頑張っている人には特に、慰められたり、励まされたりするようなシーンがあるのではないかと思います。
わたしは心に残るシーンや、背筋が伸びるシーンがたくさんありました。
実写版はまだ見ていないのですが、市江を演じる中谷美紀さんはとても好きな女優さんで、ぱりっとした雰囲気もぴったりなので、そのうち鑑賞予定です。

DVD↓