『海辺のエトランゼ』 紀伊カンナ

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ゲイである駿は、故郷を離れて南の島の親戚の宿で暮らしていた。
ある日、宿の前のベンチで毎日一人ただ海を眺める少年・実央に出会う。
互いに抱える痛みを知り、自分自身と向き合っていく二人の物語     

音とか匂いとか温度、空気の濃さ、感触…モノクロの画面から色を感じるような、静止画のはずなのに動画を見ているような、作品の世界に包まれて溶けるような漫画でした。
BLっていうジャンルに縛ったらもったいない、色んな想いや感情を受け取ることができる物語です。
実央も駿も男の子なんだけど、読んでるときはその事がさらっと頭から消えていて、ただ彼ら個人という存在が生き生きとしていた。
それは桜子とか駿の家族もそうで、「この人たちはもし性別が違っても生き方は変わんないんだろうなぁ」と思いました。
あ、駿の家族のことは続編の『春風のエトランゼ』のときに書くことにしよう!

最初こそ実央の方が繊細そうに見えるけど、なんだよすごい逞しいじゃないかよというのがだんだんわかってきて、当初のどん底さを思いやると実央の頭を撫でまくりたい気持ちでいっぱいになります。
苦しさの方を向いて、それを飲み込もうとする実央の生命力はなんだかすごく南国の子らしく思えました。
息ができる場所、自分でいられる場所で穏やかに毎日を送っていても、自分の奥に生傷を抱え込んでいるのは駿の方で、そこに実央が空気穴を開けて風が通って…
駿が現れて、頑なに1点を見つめていた実央もそこからふっと視線を外すことができた。
この二人がリンクした運命の優しさに、もう読者としてただただ感謝というか…
二人に射す強い日差しだとか、セミの声とか大きな雲とかが全部優しくて涙出てしまう!

そして、本来の生きる力を取り戻した実央は本当に健全で美しい。
太陽みたいに屈託なく眩しくて、実央のお母さんもきっとそんなだったんだろうな。
その無遠慮さやガシガシ毎日を生きる力も強烈な幸せの象徴で、駿はお母さんいるけど生傷をほったらかしてるみたいな状態だから、実央がいる風景がたまに幸せすぎて現実味がないようなあのちょっと寂しくなるみたいな感じとかがすごく豊かに描かれているんです…!
あの世界が遠くて時間が止まったような感じの映像っぽさがとても好きです。

この漫画を読んでいるとつくづく、人が人を愛する姿って美しいなと思います。
怖さや矛盾、自分のことだけ考えて都合よく納得するということができずにぐるぐる考えて悩む姿の愛おしさよ。
男の子らしく堂々と粘り強く「セッ…」と迫る実央に萌え萌えなんですけど、大事なところでさりげなく淡々と男らしい駿にもきゅん♡です。
桜子も女の子だけど男前でかっこよくて、こんな風に自分の恋に立ち向かえたらいいなと思えました。
恋って叶わなくても全然惨めじゃないじゃないか。かっこいいじゃないか。
桜子、全然イヤじゃなかったなぁ。
駿も実央も二人ともすごく好きになってしまったし、二人でいるっていいなぁ、なんて素敵なんだろう…と、終始満ち足りた幸せな気持ちで読みました。

実央・駿大好きっていう気持ちが溢れて止まらないんですけど、続きは『春風のエトランゼ』の方で書きます!

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